竹内鍼灸治療院

世田谷・用賀駅徒歩4分 女性鍼灸師の脈診経絡治療

お問い合わせ

ご予約電話:03-3708-4511 平日:9:00~19:00  土曜:9:00~17:00/日曜・祝日 休診

竹内鍼灸治療院は日本の古典臨床鍼灸に基づいた治療を行うはり灸専門院です

竹内鍼灸治療院ブログ

からだの声と銀の鍼
Blog

2017.10.15

生涯現役で

当院の治療を受けに来てくれる小学生の男の子からこんな質問を受けました。

「どうしてこの仕事をやっているんですか」

とっさのことで一瞬戸惑いましたがすぐに私はこう答えました。「一生涯、健康であれば死ぬまで続けられる仕事だからかなぁ」と。「そして人の助けとなる仕事だから」

男の子は「へぇ」と言ったきりでした。あれ?もっと具体的なことを話した方がよかったのかな?とも思いましたが、彼はニコニコと聞いてくれました。

生涯現役鍼灸師で思い出しました。

これは治療で使用するもぐさです。

時間のあるときにこのような形に整えて準備しておくのですが、その作業をしながらいつも聞いているのは、東洋はり医学会前会長の柳下登志夫先生(享年78才)の音声を録音した講義テープです。

私が所属している経絡治療の学術団体、東洋はり医学会はまもなく創立60周年を迎えます。

その二代目会長であった柳下先生は、経絡治療一筋六十余年、平成二十二年の亡くなる直前まで臨床現場に立ち続けておられた真の治療家です。

柳下先生がご存命の頃、私はまだ聴講生だったので残念ながら直に指導を受けることは叶いませんでした。ただ、さまざまな功績や伝説?は広く知れ渡り、私が大変尊敬している先生のお一人です。

毎日100人以上の患者さんを治療し、順番待ちの常連患者さんが院のまえで門前市をなし、大勢の患者さんの雰囲気が大変よかったそうです。

柳下先生は忙しい時間を過ごされながらも、早朝は必ず古典・学術の研究を休まずに続けられ、そして会の発展に尽力し、たくさんの門下生を育てられました。

ストイックな探究者でありながらユーモアもあり、べらんめぇ調の語り口で短く要点をついた言葉が誰の心にもストレートに届きました。

治療家としてはもちろん、お人柄もすばらしい。いえ、患者さんや鍼灸師からは神様とか仙人と呼ばれていたらしいので、人柄の枠には収まらない人物といえます。

柳下先生を偲び、国内外から追悼文が寄せられました。柳下先生がどのような方だったのか。「柳下登志夫先生 追悼集」から抜粋してご紹介します。

 

~柳下先生語録~

 

「先生、経絡治療がもっとうまくなるにはどうしたらよいのでしょうか」

「それはよぉ、とにかく続けることだよ」

 

「鍼はよぉそう~っとやるもんだよ」

 

「先生、会長はお辞めになっても何時までもお元気でいてくださいね。そして、ご指導よろしくお願いします」

「そりゃあ無理だよ、この世に生まれたものは必ず死んで行くのだよ」

「そうでしたよねぇ、では生涯現役でいてくださいね」

「お互いそうしような」

 

「臨床の現場にあっては基本通りには70%で後は基本を踏まえた上で術者が創意工夫をしなければならない」

 

「一日に沢山の患者さんを診て疲れることもあるかと思いますが、そういう時はどうしているのでしょうか」

「休む」

「えっ?何かこれを食べるとか、体操するとか」

「ない、寝る」

 

「治るものは治る。治らないものは治らない」

 

「西洋医学も勉強して、きちんと患者さんに対応するんだよ」

 

~会員の追悼文より~

・柳下先生が私に「これは使命だから」とおっしゃって、「どんな字を書くか知っているか?」と言われたので、「はい。指す名前です」と答えたら「馬鹿、それはご指名だ。使う命だ。よく覚えておけ」と笑いながら言われました。

私はそれから「使う命、使う命」と自分に唱えるようになりました。

 

・ふと頭に思い浮かぶのは、先生は患者さんに何かを要求したりしなかったということでした。

人はそれぞれの環境でそれぞれの生活をしています。色々な事情を抱えた患者さんが体の不調を抱え、何とかしてほしいと治療に来る。患者さんの話に耳を傾け、黙って治療し「これで大丈夫です」と治療を終える。患者さんは治療室に入る前とは別人のように安心し、笑顔で帰っていく。

治療家の思い通りに治療を進めるのではなく、今、目の前にある体をどのように治療していけばこの人はより良い生活を送れるのかという視点に立っての治療だったのかもしれないと感じています。

「治らなくてもいいから、壊さないように治療するのよ」そのような言葉も、体に体を治させるように治療しなければ、真の経絡治療家にはなれないと先生は言っていたのかも知れません。

 

追悼座談会~

『こうじゃなきゃいけない』って考えを捨てる。ものを教えることに関しても、人にお願いすることに関しても、組織で物事をしていくことに関しても、患者さんにたいしてもそうだけど、『こうじゃなきゃいけない』って考えを捨てることが今の臨床に役立っているし、それがすべて患者さんに合わせた治療をしなさいっていう。

 

まあよくね、言ってましたよ。「この患者は帰りは背中に羽を生やして帰そう」とか言って。多分ベッドから起きられて着替える時に『ああ、楽になった』と思うし、受付に出てきた時にもっと楽になったと思って。で、歩いて帰る時にはルンルン帰るんだと思うんですよ。

 

患者さんが杖を忘れて帰るって言っていた。そんなことあるのかなと思ったら本当に忘れて帰ったりとか。あとは「ちょっとバラ色まではいかないけど、ピンクぐらいにはして帰すか」とか。そう言ってましたよね。

 

あのね、偉大なる方っていうのは、亡くなったあとにじわじわこう、親の説教と冷酒とはり灸と一緒。その時は効かなくても後で効いてくるんですよ。

 

ほんと、後から効いてきますよ。それでね、もっと凄いのは、亡くなったんですけど、お亡くなりになっても尚且つ私たちが動かされている。

 

柳下先生のところって、もうすごい子供が多くて。障害のある子も多かった。で、そういう人たちも鍼をすると元気っていうか。状態がよくなる。私そこで初めて気づいたんですけど、弱い人は薬も飲めないんですよ。尚且つ元気だからこそ薬を効かす力があるんですけど。そういう人たちに鍼をして、そういう人たちが命を永らえた。それがやっぱり、ああ凄いなっていう。

 

あと、患者さんからの信頼。これがもうね、揺るぎないものでしたよ。治療時間は短いし、長く待たされるのに。患者さんが先生を信頼している何かがもう。だからあるんですよ、私たちがこうやって信頼しているように。それが見えない力というかなんというかね。

 

~東洋はり海外支部から~

・世界は偉大なヒーラーを失いました。柳下先生はどの様に患者に対応、対話するか、どの様に気と共存するのか治療を通して私たちに示されました。

柳下先生の生き生きとしたスピリット、いつでも笑顔がこぼれそうな光景と、柳下先生の気との存在感とつながりにもすぐに気付きました。そしてスターウォーズのヨダと比較してしまいました。

先生は大きな部屋の中でも気の変化を感受される能力がありました。私たちは臨床を通して東洋はり経絡治療を継続して、世界に後継者を育ち続け、先生が具象化された心、精神、癒しの技能を維持し続けます。(シアトル支部)

 

・立派な鍼灸師になるにはどうすれば良いかと、柳下先生に尋ねたことがありました。先生は「全くどうしたらよいかわからない患者と出会ったことがあるか」と言われました。「もちろん!」と答え、先生も「ある」と言われました。

そういう患者に注意をひくように、そして彼等が次のステップの扉であると言われました。

再び「先生の秘密は何ですか」と尋ねると、微笑みをこぼしながら「少年でいる」と言われました。私はこのことを「自分に素直に」と解釈しました。(フロリダ支部)

 

・先生の講義の中でコメントされた事がとても印象に残っています。

「治療の目的が患者を治すことなら、臨床の成績としてはとても小さい。

私たちが治療して患者がよくなる。そしてその患者が家に帰り、その気分の良くなったことを家族や友達に伝えると彼等の気分が良くなる。そしてその家族が良い気分になったことを彼等の友人に伝えると、その友人の気分が良くなる。

こんな様に患者を治療するだけではなく、世界を変えているんだ」(ワシントンDC支部)

 

・柳下先生はある意味で仙人と言われました。先生はこの宇宙は気であり、自己と他者に隔たりはないのだと深く気付かれました。先生は臨床を通じて、宇宙の気の調整と調和をされていたのです。

柳下先生のような鍼灸師と今までお会いしたことがありませんでした。聴解力、楽しい精神、繊細なタッチ、思いやり、無私無欲である先生は、経絡治療の芸術への献呈とこの分野への貢献は、決して忘れられないでしょう。

先生は度々「全ての医学は愛である」と話され、先生の存在そのものが癒す効果をお持ちでした。(シアトル支部)

 

・私にとって、先生は美しい人間でした。先生の美しさは先生を包む艶と、先生の暖かいお人柄と信じられないほどの軽いタッチを通して輝くものでした。(オセアニア支部)

 

・とても印象深い経験が二回。一度目はヨーロッパで開かれた講習会の場で、先生はただ治療し指導されることで、鍼には「目に見える以上のもの」があることをはっきりと示されました。

先生の臨床を見て、感じることで、鍼の技巧は多くのレベルで理解することができるという明確な証拠を私は得ました。

もうひとつの出来事は、東洋はりを学び臨床に用い始めた私は、すこし怖気づいてしまうような経験をしたため、自分の技量不足を恐れて東洋はりの臨床を一時やめてしまったことがありました。

その頃、東洋はりニュースに載った柳下先生のインタビュー記事を読んだのです。

先生は「たとえ自分が未熟だと感じても、練習し続けなさい。練習に練習を重ね続けて、はじめて技術は身につくものです」と言っておられました。まったくその通りです。

その言葉に勇気づけられた私は、自らの至らなさや未熟さを受け入れ、そこから努力を続けて成長すべく、再び東洋はりの臨床を始め、以来、私の臨床では一番好んで用いる治療になりました。(スペイン支部)

 

改めて、追悼集に寄せられた一文から

お釈迦様がなくなる前、弟子たちに「私は、本当はいなくなるのではなく、求められればどんな所にもあらわれるんだよ。私がいると安心して弟子たちがなまけ心をいだき修行が進まないので、いなくなった様にするんだよ」という様なことを言われたそうです。

大きなより所を失った今、先生の残されたものを見直すと「こんなにも重要なことを言ってくれたんだ」と改めて気づく日々です。

 

以上、発行者 東洋はり医学会「柳下登志夫先生 追悼集」より

 

少し前に私はある女性とお会いしました。以前東洋はりに所属していた方で、彼女はこの世では見えない存在が見える方なのですが、話の中で柳下先生の話題になりました。

そして彼女はこう教えてくれました。「柳下先生はお亡くなりになったあとも、弟子たちの治療院を訪ねてはそっと見守ってくださっているんですよ」と。

私は先生がご存命のときにご指導を受けることはありませんでしたが、真摯に経絡治療、そして患者さんに向き合っていれば、きっと私の治療院にも柳下先生は訪れてくれていると信じています。

 

 

 

 

アクセス
Accesss

TEL:03-3708-4511

〒158-0097
東京都世田谷区用賀4-15-10

東急田園都市線用賀駅北口を出て、徒歩約4分

*駐車場はありません。
近隣のコインパーキングをご利用ください
受付時間
平日 9:00~19:00
土曜 9:00~17:00
*休診:日曜・祝日
他、不定休日あり