北海道~フィリピン、ヒーリングの旅3
マニラから車で約一時間半、タガイタイという避暑地に近いアルフォンソにあるアカデミーワールドオブヒーリング(AWH)でのヒーリングはとても神秘的なものでした。
ここで先に紹介した本『ウパシクマ』の巻末、著者の「補足」から抜粋します。
青木愛子に伝わるアイヌイコインカル(助産術)やテケイヌ等は、ルソン島のイゴロット族のアシュラム(聖地)から運ばれていることになる。アシュラムの方にはヒーリング(心霊手術)が歴代継承され、既に他界したが、トニー・アグパオアが現れて、その手術の真偽が世界的な話題になったようだ。真偽の問題を論ずる趣味は筆者にはないが、聴診器も注射もメスも使わずに手当てを行なう特殊な掌をアイヌ語ではテケイヌと呼ぶことを報告しておきたい。
アイヌお産ばあちゃんのウパシクマー伝承の知恵の記録 樹心社.1998
おそらく私がフィリピンで体験したのはこの文章に記されている心霊手術のことです。
はるか昔フィリピンのバギオから天静一という人物がアイヌの青木愛子さんはじめ代々の産婆に継承したヒーリングというのが現在もフィリピンのヒーラーによって行われる心霊治療のことを指していたのです。
私もその心霊治療を実際に受けることができたのですが、もちろん懐疑的に見る方もいらっしゃるでしょうし、受け止め方は人それぞれだと思います。
ですからここでは私の個人的な感想をお話しすることにします。
確かに内容はセンセーショナルなものですが、まずは私たちの視覚でとらえる三次元や物質界の概念を外すことができれば、このような現象を否定するばかりではないように思います。
ずいぶん前にテレビでも取り沙汰されていたことを私も記憶しています。これについてはショー的な要素もあったのかもしれません。
ですが本来の心霊治療は、シャーマニズムやアニミズムの世界観にあり、太古の昔から受け継がれる土着の伝統医術といえます。
数年前に読んだ本がきっかけとなり、私が北海道に生まれてアイヌの信仰に共感を覚えたことで繋がったフィリピンでの体験。
さまざまなセミナーやヒーリングを通し、自分自身の振り返りの中からたくさんの気づきが生まれました。
- 自分や社会が常識と思っていた価値観を変えればもっと自由な生き方ができる。
- 病の根本は自分のなかにあり、受け入れるのも手放すのも自身が選択をしている。
- 奇跡的な現象は意識変革のきっかけに過ぎない。その体験から精神、肉体、魂の向上を自分の努力で目指す。
- 自分が生まれてきた意味や役割はすぐにはわからないかもしれない。失敗や遠回りも必要な学びで、投げ出さずに信念を持ち続ける。
- 地球、自然、動植物への慈しみはすべて自分につながる。
- 高齢者や身体に不自由な方への介護や手助けはさせてもらえているということ 。
- 多次元や高次元の世界について。
- 素直さと謙虚な気持ちが大事。
- 行動の間違いや方向性の見直しに気が付いたら、我を張らずに柔軟に軌道修正する。
フィリピン滞在中はAWHも支援しているBahay San Joseという重度の心身障害を持つ方たちの生活をしている場所を訪問しました。
寄付とボランティアで運営されおり、私たちも話をお聞きしてドネーションをお渡しするために訪れました。
Bahay San Joseのはじまりは代表者の娘さんが重い障害をもって生まれ、彼女を育てるうちに同じく障害を持つ身寄りのない方や親族が養育を放棄した方たちを引き取り一緒に暮らすようになったそうです。
私は暮らしているおひとりおひとりに挨拶をしながらあることを思い出しました。
鍼灸資格を取る前、病院内でアロマオイルを使ったタッチセラピーのボランティアをしていたのですが、対象のみなさんがBahay San Joseと同じ重度障害の方でした。
病院の施設には虐待を受け保護された人や劣悪な環境から救い出された人などもいて、普段の私たちの生活ではあまり出会う機会のない方も多く入院されていました。
こんなことを言ってはなんですが、中には「もしかすると次の訪問時には容態が思わしくないのでは」という方もいらっしゃいました。
いつも私は『困難な日々を過ごしてこられた〇〇さん。私のできることは些細なことですが、いまを共に過ごす尊い時間をありがとうございます』という気持ちでケアをさせていただきました。
肌を触れてお互いの何かが通じ合うときは本当にこんな気持ちになりました。
ボランティアを続けるうちにもっと身体について体系的に学び、知識を得て人に触れる必要性を感じました。
そして自分の興味と経験を生かすことができる、鍼灸・按摩マッサージ指圧師の国家資格取得を目指すことを決めたのです。
今の私があるのは、あの人たちの導きによるものだとBahay San Joseを訪れて確信しました。
他にも今回の旅では様々な気づきや印象的な出会いがありました。
さて、長々とつづってきましたがこういったスピリチュアリティに関しては、なかなか共有が難しくともすれば胡散臭い話にもなってしまいます。
ですが現代社会をいきる中で大切なものや本質的なことに目を向けるきっかけにもなるような気がしています。
そして一番大切なのは、しっかりと地に足をつけて自分を生ききることなのだと思います。