一本の鍼で人生が変わる?
ひとくちに鍼灸治療と言っても、鍼の手法や考え方は実にさまざま。
大きく分けるとふたつあります。
ひとつは現代医学にそって病気の機序を理解し、鍼の侵害刺激により体の生理反射を促す方法。
もうひとつは古典医学や東洋思想の考えに基づき、経験的に臨床を重ねて理論を構築する方法です。
経絡治療は後者ですが、だからといって古典派が現代的な考えを否定しているわけではありません。
それに臨床の考察は古代より現代まで脈々と積み重ねられており、その数は膨大です。
私たち経絡治療家も、最新の医学知識や現代に顕著な疾病を把握することで、自分たちが担うべき役割を常に模索しています。
ですから患者さんだって鍼治療を選ぶ際には、ご自分の考えや好み、体にあった鍼灸院を見つけられるといいのです。
ではなぜ私が経絡治療を選んだかのかをお話しします。
専業主婦だった私はご近所にある鍼の治療室に患者として通っていました。
腰痛か何かだったと思いますが、わずかな治療期間にもかかわらず、その時ものすごく衝撃を受けたのです。
患部がよくなったのはもちろんですが、世の中にこれほど優しい『はり』、いえ、『心身のケア』があるのだろうかと。
それがのちに私の師となる先生との出会いでもあり、経絡治療に魅了されていく私の治療家人生のはじまりでした。
そんな大げさな、と思われるでしょうが、その後子育てをしながら三年間の鍼灸学校生活を皆勤で通学し、当時学生の頃から経絡治療一筋で勉強会に通い詰めるほどの何かが私の内側に宿っていたのは間違いありません。
よく、なぜこの仕事をはじめたのですか?という質問がありますが、考えれば考えるほど「なぜ」はあるのだろうかと思いあぐねます。
仮にその理由があったとしても、私がその理由を知ることはあまり重要ではないような気がします。
ただ自分の中から湧き出る熱意によってのみ、今の自分の力量でできる精一杯をやっていれば、おのずと環境は整い次のステージへ進むことができるのではないかと信じてやっているだけです。
いま私は開業してひとりで治療院を切り盛りしていますが、経絡治療の勉強をはじめたころは本当に私にあの鍼が出来るのだろうかと不安ばかりでした。
亡くなられた大先生の講義テープにこのようなお話があります。
~一本の鍼をするとどうのように体が変化するか~
1.六部定位(ろくぶじょうい)の脉状診ががらっと変わる(注1)
2.脈が沈む、締まる、遅くなる、虚が実になる
3.呼吸が深くなる
4.肌のつやがよくなる
5.肩、首の筋の緊張は緩む
6.腹証(ふくしょう)が変わる(注2)
7.へその形が変わる(注3)
8.患者は気持ちがゆったりとして落ち着いて楽になる
注1)六部定位:手首三か所の脈。左右合わせて六か所の脈を診るので六部定位といいます。
注2)腹証:お腹全体の硬さや肌質。全身のおおまかな状態を表します。
注3)お腹の状態が変わると、へその形も変化します。
鍼は大変シンプルな道具ですが、シンプルゆえに効果がはっきりとわかります。
わずか一本の鍼で体にはこれだけの変化が現れます。
この変化こそ、生命エネルギーの通り道である経絡の滞りがとれて気血が流れてゆく証拠です。このように生命力が強化されることによって、自然治癒力が働き病苦が癒されるのです。
私が患者として経絡治療を受けたとき、上記の3と8ははっきりと感じることができました。
そして治療家となった今、1~8の変化を実感できるようになりました。
もちろん難しい疾患や慢性的な病気、個人個人によってすべてがこのようにうまくいくとは限りません。回復には長い治療期間が必要なこともありますし、まだまだ私の未熟さも大いにあります。
しかし、薬ではなく、外的刺激でもなく、鍼と灸という自然界にある素朴な道具だけで、人の体に負担なく健康を取り戻す方法を私は知っています。
たぶんこの事実こそが、私の鍼灸への情熱の火が絶えない理由なのかもしれません。